まんねんDL期②

27歳。職業ジャニヲタ(=いわゆる無職)。NEWSを愛してほぼ10年。夏に初ベビ誕生予定👶

今日という日。

子どもが出来て命が宿ることの不思議、育つことの喜び・奇跡について考える事が多くなりました。胎動も日に日に強く大きくなっていてまるで“生きてるよ!”と、メッセージを伝えてくれているように感じます。産まれるのはまだ先だけれど、すでに誰よりも可愛くて愛しいです。

 

 

 

 

3月11日。あの日は確か金曜日。

私も宮城が地元なのでこの日はやっぱり特別というか様々な想いが巡ります。 

幸い私の住んでいた地域は山沿いで震度も5強と弱かったため何も被害もなくライフラインも電気以外は動いていたので多少不自由ながらも過ごすことが出来ました。でも思い出すとやっぱり恐かった記憶。今でも鮮明に覚えている瞬間です。

突然来た強くて長い揺れと、けたたましく鳴り響く地震速報。そして、激しく物が倒れたり落ちたりする音と不気味な地面から響くような低い音。壁にしがみついて身体を支えているのが精一杯でした。長い2分間が過ぎるとまたしばらくして2回目の地震。電線が波打つように揺れ、建物も目で見てわかるほど揺れ、道路にもひびが入り今起きている状況が理解出来ませんでした。気がつくと雪が降り始めていて空も黒かった記憶があります。

町も朝とは全く違う雰囲気で、とにかく真っ暗。停電しているから家もお店も道路の街灯さえ灯りが灯っていなくて。聞こえるのは消防車と救急車のサイレンだけ。あちこちで電柱が倒れ、道路も至るところにひびが入っていて、よく見ると家も斜めだったり完全に倒壊してしまっていたり…ただ事じゃない何かが起きているのを徐々に感じ始めて来ました。情報収集もラジオと携帯電話となんとか届いた新聞だけで、身近で起きている出来事を知ることさえもままならない状況。いつまでこの生活が続くのか予想もつかない毎日でした。

ある朝、職場に向かうために駅から歩いていると前から沢山のトラックが走って来ました。よくみると全国各地から来た災害復興の電力会社の方達で北海道や九州など、地元から何百キロも離れた地域ばかりで一体どれ程の日数をかけてやって来てくれたのかという驚きと感謝の気持ちで涙が溢れ、私ももっと頑張らないといけないなと強く思いました。私たちの知らないところで多くの方々がほとんど寝ずに復旧作業をしてくれて、そのおかげで1週間後には電気も点き、いつもの生活に戻り日常の有り難さと多くの方たちの協力に気づかされた時間でした。

 

 

 

去年結婚して被災地に近い地域に引っ越して来ました。道を歩いているとあちらこちらに震災の跡が残っています。街並み自体は何事も無かったかのように回復しているものの、道路の脇には津波到達地点や津波の高さを表す看板があり、よく買い物に行くスーパーも津波にのまれていて驚きました。私が今住んでいる住宅も近くにある大きな川を挟んで反対側は津波の被害があったそうで、今は普通にお店も営業していて新しく家も沢山建っていますが、たった数十メートルの距離でこんなにも違ってしまうのかと本当に信じがたい思いです。

今日を迎えるにあたって沢山のテレビで被災地の復興の様子や、現状を伝えていますが皆さんが本当に強い意志で元の故郷に戻すために奮起していています。でも、今でも悲しみが癒えない方々も沢山居るのも事実です。津波で大切な家族を亡くした方々のニュースは本当に辛くてやるせない気持ちになります。自分の家族や子どもを守りきれなかったと話す方を見ると、誰が悪いとか悪くないとかではなくてこればかりは不可抗力だから仕方ないことなんじゃないか、そんなに自分を責めないであげてと思っていましたが、やっぱりそれは私の周りは無事だったから思うこと言えることであって、もし実際に経験していたら私も同じことを思うかもしれないと主人と過ごして子どもが出来て思うようになりました。いつも当たり前に隣に居た家族が突然居なくなってしまったら…きっと自分を責めてしまうし、ずっと立ち直れないと思います。

何を持って復興なのでしょうか。町が再建されて賑わうことはもちろん復興ですが、同時に気持ちが伴って本当の復興と言えるのでしょうか。

6年という年月は経ちますが、完全な復興はまだまだ先なのかなと感じた3月11日です。